"競争"について   (1997.1)

 "競争"について考えました。厳しい競争があるのが良いか。競争がなく、上手に棲み分けができていて、のんびりと生きてゆけるのが良いか。単純に考えれば、無競争の状態でそこそこ満足に儲けられる姿を全員が望むと思いますが、本当に競争のないことが、良いことなのでしょうか。
 自然界の例として二つの例を挙げてみます。
 ガラパゴス諸島のドド(肥満体で飛べない鳩の一種)は外からは隔絶された島で、肉食獣がいなかった為、ダ−ウィンが発見した当時は非常に繁栄していたようです。その後、島に人間が犬を連れてやってきた。肥満体で飛べないのだから、犬にとってこんないい食べ物はない。トドはたちまち絶滅しました。
 アフリカのサバンナのトムソンガゼルはかっこうのライオンの餌食でした。それを目撃した探検隊が、何と残酷な、ということで、ライオン狩りをした為、その地方のサバンナからライオンの姿が全て消えました。それから何年かして探検隊が再びそのサバンナを訪れた時、トムソンガゼルの姿が一匹も見当たらないし、サバンナも荒れ果てて、砂漠化していました。トムソンガゼルが絶滅したのは何故か? 走るのが遅い、体が弱い、奇形等の劣悪な要素を持ったガゼルが、ライオンに食べられ、種の保存という面ではうまくいっていたものが、ライオン狩りをしたことで、劣性なガゼルを取り除く作用が無くなり、その結果、本来ならライオンに食べられたガゼルも生き残り、群全体の体質が弱いものになってしまったらしい。そして弱い体質が淘汰されないままに、爆発的に数が増え、草を食べ尽し、一挙に絶滅してしまったようです。
 自然界に起こったこの二つの例でもわかるように、競争の無い世界になると、外部要因、内部要因の差こそあれ、ある環境の変化によって、一挙に滅んでしまいます。

 私達の経済社会の中でも、環境の変化によって滅びそうなものに、以下のものが挙げられるでしょう。教育分野では公立学校の先生。教え方の面で格段の差がある塾や予備校の先生に負けて、日頃から勉強していないサラリーマン先生は職を失うでしょう。いまひとつは健康保険に守られた医者。もし健康保険が無くなれば、多くは潰れるかも知れません。又、銀行は、国の保護政策が金融の自由化等により、崩れつつある状況で、優勝劣敗が色濃くでつつあります。潰れっこないという前提でバブルに悪乗りした銀行が、今後どんどん消滅してゆくでしょう。護送船団方式といわれた規制に守られてきたひ弱さがモロに出つつあります。

 そして、私共の板硝子業界に目を転じてみますと、かって既得権の横暴がはびこり、それにあぐらをかいてきた不健全な奇形片輪業者が生き長らえてきました。原価計算もせずにゼネコンの言うがままの価格で受注しても、メ−カ−や卸業者が親切に尻拭いしてくれる。又、業界として、組合による話し合い調整や、新規参入の禁止などの規制を挙げればキリがありません。根源はメ−カ−の系列化政策(仕入れの一本化)が「甘え」(寄りかかり)の構造を生んだということでしょう。しかし、体制、環境の変化(海外硝子メ−カ−の政治レベルでの日本進出への圧力、国内メ−カ−の世界ル−ルに合わせる施策等)に遭遇し、脆さを暴露しつつあります。現在、代理店、硝子工事店はは全国で数多く倒産しています。関西でも、ゼネコンの言うままに安売りしていた、大型硝子工事店に内容の悪い店が続出しています。大きな変革のうねりが優勝劣敗を促し、再構築の時が訪れようとしています。ようやく板硝子業界も規制が大幅に減り、自由に商売を伸ばせる"競争の時代"が来たようです。

 一方、組合も無く、自由競争の野放し状態の中で、切磋琢磨してきたアルミサッシ業界は、営業活動も活発で、動きも迅く、きめ細かな営業をして、競争社会を生き抜いて来たと言えるかも知れません。今、住設機器の各メーカーが売れるチャンネルとして、サッシ業界に擦り寄ってきています。建材ルートよりサッシルートの方が、工務店との絆も深くよく売れそうだと気づいたようです。実際にサッシルートは新しい商品にも果敢にチャレンジする意欲的な販売網になりつつあります。

 いろんな例を出しましたが、結論として、"競争"が我々を鍛えてくれ、"競争"があるからこそ我々は進歩する、"競争"が強い体質の企業にしてくれるということを再確認いたしました。私達は競争ということに対して、もっとプラス思考で積極的に向き合うことが大切なことでしょう。競争に挑み、打ち勝ち前進してゆくことによって、私達はより成長できると確信いたしました。